『青天を衝け』が最終回を迎えました。前作の『麒麟が来る』もそれなりの評判で訳の判らない人の大河やるぐらいならもう少し長くやって欲しかったという意見も多かったようですが、結果的には前作を忘れさせる程の傑作だったようです。ワタシも日曜日が楽しみで仕方がありませんでした。
渋沢栄一と言えば日本近代産業の父であり、あらゆる産業の産みの親であったことは私も知っていました。銀行やらガスやら明治に起業した企業の大半が渋沢栄一の息のかかった物だった、学校も幾つか携わり、三菱の岩崎弥太郎とやり合ったり位でしたので大河ドラマにするに当たってそういう企業の苦労ばかりやるんだとばかり思ってたのですが、幕末の勤王攘夷、大政奉還、戊辰戦争、明治維新から昭和の始まりまでのドラマスティックな時代を渋沢栄一視線で描くなんて思わなかった。百姓から維新志士、幕臣、留学生、官僚、実業家、そして日本の顔へと変貌するその姿とバイタリティ。そして彼に携わる数々の人・・・とっ様かっさま、親類、数々の上司同士、ライバル。それら全てが栄一の活動の動力源だった。それらも丁寧に描いてくれたからこそこの大河は成功したのだろう。1人の偉人の話ではなくそれぞれの集まりにより栄一を盛り立てて近代日本を作った話だったのだ。
今までの大河の殆どが1人の英雄、偉人を描いた物だった。それらの殆どが旧体制を破壊し新しい世の中を造る。1人の英雄による破壊と再構築が大河ドラマの本筋であり、逆に群像劇を描くとほぼ失敗する。『いだてん』がその例であり明治以降の大河が成功しないのはその様な偉業を為した偉人が居なかったからウケるドラマが出来なかったと推測できる。今回は1人の偉人を中心とした構築するモノと破壊するモノ、そして構築したモノが理想とは遠くなり苦悩するモノの『理想と現実と妄想の群像劇』だった。
そしてこのドラマで一気に評価が変わりそうなのがやはり15代将軍であり最期の徳川将軍であった慶喜でしょう。変わり者の逃げた将軍として、隠居後は放蕩三昧の多趣味人としてのほほんと生きてきたと思われてきた変人でしたが、草彅剛の好演もあって実は理想と現実の間に苦しみ、沈黙することで時代を安定させた偉人として描かれ、臣下であった栄一の推しもあって作中でも名誉を回復させる。こういう演出も奥が深かった。(余談ではあるけど映画『燃えよ剣』の慶喜は酷かったw)。それと大隈重信も一片の曇りもない偉人から人間くさいジジイになったのも個人的には良かったな。
あと少し手新札の顔になる渋沢栄一に取って素晴らしい自己紹介大河ドラマになったでしょうね。主役の吉沢亮、『なつぞら』の天陽くんも好演でしたが栄一役も素晴らしかった。これからの活躍に期待してますっていうかカニばかり食ってんじゃねーw