まぁハロウィンな訳ですけど、待機児童ゼロな街だもんで駅前には小悪魔の集団が行列を為して大行進してました。ある意味スゲーなと。でも薬局でお菓子ねだったところで苦ーい薬飲まされるんじゃないかとオジサン思っちゃいますね。
で肝心の健康状態は今月は何だかんだありましたがまぁあまり変わりませんでした。変わったのは担当医でまた女性になりました。
結果論になるのだろけど①末永は運というか流れだけで優勝しちゃったな感が強いなぁ。エンジンが良かったのは確かだけど予選で圧倒的な成績というわけでもなく、準優も壊し屋が居ないメンツが良かったから逃げられたかなという感じ。で優勝戦も全スロじゃイン逃げ当然だろう。勝つ事より護ることに必死な選手ばかりの優勝戦じゃああなる。実に保守的な優勝戦で感想も何もありません。取ったけど。
まぁこれでまた佐賀の選手がSGウィナー入りした訳だけど峰の弟子達がどんどん出てきたなぁという感じ。長年上瀧や長溝らのチ○ピラ上司が佐賀や九州を仕切っていたけどようやくその影響がなくなってきたかな。あいつらは平気で後輩を潰しまくってきたし。峰は実力と結果ではね除けてきたから潰されなくて良かったしちゃんと次世代もしっかり育てている。良い先輩じゃないかねぇ。まぁ脇が甘いから公私で問題も起こすけど(汗)
対してサイタマ軍団は・・・エースモーター引いて惨敗した佐藤翼は問題外。クソモーターの中田竜太はどうしようもなかった。桐生にしたって1号艇でもピンとれない程酷かったのでこりゃダメだと思ってたら4日目から蘇ったのは驚いたけどねぇ。準優戦も末永と同じレースだったのが幸運だったかなと。でも優勝戦乗れたから優勝出来なくても賞金的に馬場や西山を抜けると踏んで守りに入ったかな。ツマンネー事したなと思っている。それでも3着で結果を出したかなと。戸田G1もチャレカも残っているしトップ6入りは濃厚と思う。
もう少しワクワクするレースが観たいです。
黒エフとワタシの相性というか圧倒的にワタシが悪いのだけどマフラー付け根で火傷するんです。今回の旅でも右足のふくらはぎをジュッと焼いてしまいました。足が長くて裾が長ければそんなことは起きない筈なんですが。
と言う訳で今までは昔の車やバイクが巻いていたガラスウール入り耐熱布を巻いて昭和的な対策してたんだけどこれがイマイチと言うか不器用なのかカッコよく巻けない。終いにはほどけるし千切れてくるしでどうしようかなと対策を考えていたのですが。そういう感じで探し出したのがアルミの曲げられるガード。そもそもハーレーとかのエキパイ剥き出しバイク用でマフラー付け根には使ってないのですがまぁやってみる価値はあるかなと重い腰というか身体を持ち上げてチャレンジ気分でAmazonをポチりました。
実際にポチったのは旅行前で旅行前に対策しようかなと思ってたのですが中華製の直輸入品らしく翌日入荷にはならず届いたのは10月に入ってから。御周知の通りそこからいろいろあって手を付けたのが今日。でやってみました。アルミ製のガードはクネクネ曲がるのでマフラー付け根のカーブにもフィットして違和感なしでした。しかしそのフィットが大問題というかマフラーの熱が伝わってくるかなと感じ外した耐熱布を巻いて装着してみたモノの上手く行かず結局は直付けで申し訳程度に耐熱布を差し込む。案の定熱問題は解決せずでした。うーむ見た目にはカッコイイしマフラー側のガード(写真左)は全く熱くならないんだけどな。そっちみたくガスケットシートで巻けばいい感じになるのだろうか。再考の余地ありだがカッコイイからまぁ良いか。
まぁそういう事なので身内ネタ解禁になりました。
実はワタシ相続で実家を譲り受ける事になってまして、かーちゃんが住まなくなったら帰る手筈になっているのです。今住んでいるマンション売却とその他相続と年金+地元で適当なバイトで実家一人暮らしを満喫する予定だったのですがそれがどうも変な横槍が。妹が姪を巻き込んでワタシと一緒に住む!と言い始めたのです。
オイちょっと待て。マンションになれると隙間風だらけの実家じゃ暮らせない処分すると散々実家をこき下ろしておいてそれはないだろう。しかも姪を巻き込むってどういう神経してんだ?地元公務員志望だし結婚願望がないから面倒見てもらうってお前あたまにウジが湧いてそうな発想。姪抜きにしてなんで妹と同居しなきゃならんのだ?というか同世代の実家リターンがムーブになっているらしいのでそう遠くない将来同世代で再び構成される町内の一部になりたいらしい。
止めてくれっての。ワタシは一人でのんびり誰にも干渉されずに最後まで行きたいのに。しかも自分の娘を巻き込むなんて何処まで自分勝手なんだろうか。本人の口からベラベラ喋っているし言いだしたら聞かないしかーちゃんの耳にも入っているしあたまが痛いです。
63年の人よりちょっと短い旅を終えて実兄が旅立ちました。
10月5日が兄の誕生日だったのでメッセージでたんおめ送ったのですが返事がなかなか帰ってこず、数日後帰ってきた返事には1週間ほど調子が悪く動けない、以前のような肺炎の症状あるというのでとっとと医者に行けと促したら自分で救急車を呼んで入院しました。翌日のメッセージでは肺炎と脱水という診断で病院からの連絡もないので安心していたのですが、翌日仕事から帰ってお風呂に入っている時に病院から危篤状態との電話が。
そこから家族大騒ぎになり何も知らなかったかーちゃんから電話が来るわ妹からLINEが飛んでくるわでその最中亡くなりましたとの電話が。その間僅か30分。11日のお昼前の話です。そこからがもう大変で何も用意せず急いで車に乗って眠気と戦いながら高崎の病院へ。15時半頃に病院に到着して兄と対面しました。
その後は葬儀屋呼んで兄を引き取って葬儀屋に安置したのを確認して前橋市の兄の部屋に泊まって翌日に大家やお世話になっている隣人に報告、妹を高崎駅に迎えに行って何故かこんにゃくパークに寄って大勝軒でラーメンを食ってから兄と面会してから兄の部屋に帰って大掃除。ワタシも自分ちに帰って用意するものが沢山あるので妹を連れて深夜帰宅。翌日の夜にまた前橋に行って泊まって色々所用をすまして15日の朝に兄を荼毘に付し、兄の家を経て実家に帰ってました。
そして今は折り合いが悪かった親父殿の隣りに居ます。出奔して40年くらいかな。今頃あの世で親父殿と仲良くやっていれば良いかな。どうせ今後は嫌でも同じ墓の中だし。
ワタシもそんなに仲がよかった兄弟じゃ無かったとは思います。しかし動けるような身体じゃなくなったのにもかかわらず実家に帰るつもりも無かった兄と高齢で動けないかーちゃんや折り合いが悪かった妹に頼れる訳でもなくその際の時にはワタシが全負担してました。入院だ何だかんだと言う度に前橋に飛んでいっては面倒を見てました。それでもしょうがないかなとは思って接してはいたし正直面倒くさい人でもありました。まぁワタシが倒れた時には連絡役をして貰いましたが。
言いたい事は沢山ありますがようやく長い旅路の終了を終えた兄です。ワタシのブログやFB見てはネチネチ苦言を言っていたけど死んだらこうやってネタにされるんだよと。大好きだった群馬並びに前橋とに感謝しつつ家に帰ってこれたことに感謝。合掌。