某氏とTwitterで散々語り合った『カムカムエヴリバディ』が無事終了しました。100年3人主人公の物語と銘打ちながら深津絵里ことるいがほぼ話の中心で母親の安子があまりにも悲劇的な扱い、娘のひなたがあまり目立たなくるいに喰われているような物語で何処が100年3人の物語じゃぁ深津絵里だけの物語じゃんと感じていたら実は最初から最後まで2024年に開講したひなたが講師ラジオ英語講座の教材だったというオチ。大好きなるいと安子の実話を半創作したんだから複雑な内心とか葛藤とか不都合な事実を書かず全部都合の良いようにするし、安子は戦争という混乱に乗じてに悲劇的な扱いに、るいはドラマチックに自分は控えめにするだろう。まぁ納得というか何それって感じだし張り巡らせた伏線と主張を回収すれば吉とする脚本が好き勝手だけした感が何とも。
いやオチが創作でも良いんだけど、何が納得いかないと言うと100年3人の物語なんて言わずに深津絵里を起用したいが為のるいの物語と銘打てば良かったんじゃねと思っている。上白石萌音と川栄李奈は完全に当て馬だよ。これで朝ドラ主人公経験者で今後ありませんじゃちょっと救われないかなぁ。特に川栄李奈の『次は30年後主人公の母親役で』って深津絵里が格段の扱いを受けての感想じゃね?と勘ぐってしまう。ドラマ上でも印象に残るシーンはるいの絡みばかり。ひなたがメインの印象に残るシーンなんて思いつかない。しかも活躍するのはるいの友人と関係者だけだし。安子はしょうがないとしてもひなたの恋人や友達は彼女を振り回すだけか?関係者はアドバイスするだけか?あまりにもアンバランスすぎてなんなんだか・・・
なんか否定的な話しかしてないけどとても面白い良い朝ドラだったと想っています。ただ深津絵里を起用したいのなら初めからそう銘打って『るいとその母娘の物語』とすれば納得出来たんだろうなと。売り方が気に入らないよ。それだけが不満であり納得出来ないのだと想っています。伏線回収とかより主人公というのならまんべんなくひなたの道をあるかせるのが仁義じゃないのかなと。
藤子不二雄A事安孫子先生が亡くなられた。漫画家としては殆どリタイア状態だったけど、最後に月刊誌に連載した2ページほどのエッセイ漫画でも良いから復活してくれないかなと淡い期待をしていたのだけど残念です。
彼の作品としてはやっぱり『まんが道』『魔太郎が来る』と『プロゴルファー猿』かな。『笑うせいるすまん』は原作を読んだことがあまりない。おどろおどろした世界観と泥臭い人間観が彼の持ち味だったなぁ。特に『少年時代』の疎開先の閉塞感やパワーバランスをさりげなく緻密な描写は彼の真骨頂なんでしょう。
A先生を語るに当たってどうしても相方である藤子F不二雄、藤本先生も出さなければならない。性格もまんがの質も当に正反対な彼等である。F先生は『ドラえもん』と『パーマン』が代表作ではあるけど子供達に温かいメッセージを送ると同時にシニカルであり少しエロチックでありSFであっても『すこしふしぎ』だったり・・・リアリズム思考の高いA先生とはほぼ相対的なのである。夢と希望と友情の世界を書く中でさりげなく戦争の本質を語ったり世間の評論と身勝手さを欠いたり世の中の矛盾を書くのがF先生だった。
こんな真逆の二人が子供の頃に出会って漫画家になった事が凄い。恐らくだけど真逆でお互いの才能と漫画を尊重していたからこそ初期の合作が完成したのだろう。お互いの感性で対評価できた。これが同じ方向や才能の差があったらバランスが悪いだけで一方だけが優れた漫才コンビと変わらない。いずれネタに困って分裂、険悪のまま解散しただろう。
初期の合作からそれぞれ作品を書くようになり、やがて正式に解散。それは仕方が無いと言うか作品の方向が全く違う以上それは仕方が無い。(まぁさいとうたかお方式もあるが)解散した理由も『ドラえもん』のメガヒットで収入格差が生じてお互いの家同士でいざかいがあったとか。これも仕方が無いかと。そして不幸にもF先生は60半ばで亡くなられて二度と組むことはなくなった。だからといって疎遠になったのではなくお互いに友情と尊敬を重ね合っての事であり二人とも藤子不二雄の名前を外さなかった。ふたりは別れても一つだった。
性格の異なるふたりは漫画という共通の趣味を通し、手塚治虫という同じ目標をふたりで目指し、肩を並べられるようになってそれぞれに活動しそして解散。やがて死が2人を永遠の別つてもなお同じ漫画道を進みF先生が観られなかった令和の時代まで生き続けたA先生。今頃はあの世でF先生や手塚治虫氏らトキワ荘の連中と再会して大騒ぎしているのじゃないかな。合掌。
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