異色の漫画家 藤子不二雄Aさん死去 88歳 描いた人生の奥深さ(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
藤子不二雄A事安孫子先生が亡くなられた。漫画家としては殆どリタイア状態だったけど、最後に月刊誌に連載した2ページほどのエッセイ漫画でも良いから復活してくれないかなと淡い期待をしていたのだけど残念です。
彼の作品としてはやっぱり『まんが道』『魔太郎が来る』と『プロゴルファー猿』かな。『笑うせいるすまん』は原作を読んだことがあまりない。おどろおどろした世界観と泥臭い人間観が彼の持ち味だったなぁ。特に『少年時代』の疎開先の閉塞感やパワーバランスをさりげなく緻密な描写は彼の真骨頂なんでしょう。
A先生を語るに当たってどうしても相方である藤子F不二雄、藤本先生も出さなければならない。性格もまんがの質も当に正反対な彼等である。F先生は『ドラえもん』と『パーマン』が代表作ではあるけど子供達に温かいメッセージを送ると同時にシニカルであり少しエロチックでありSFであっても『すこしふしぎ』だったり・・・リアリズム思考の高いA先生とはほぼ相対的なのである。夢と希望と友情の世界を書く中でさりげなく戦争の本質を語ったり世間の評論と身勝手さを欠いたり世の中の矛盾を書くのがF先生だった。
こんな真逆の二人が子供の頃に出会って漫画家になった事が凄い。恐らくだけど真逆でお互いの才能と漫画を尊重していたからこそ初期の合作が完成したのだろう。お互いの感性で対評価できた。これが同じ方向や才能の差があったらバランスが悪いだけで一方だけが優れた漫才コンビと変わらない。いずれネタに困って分裂、険悪のまま解散しただろう。
初期の合作からそれぞれ作品を書くようになり、やがて正式に解散。それは仕方が無いと言うか作品の方向が全く違う以上それは仕方が無い。(まぁさいとうたかお方式もあるが)解散した理由も『ドラえもん』のメガヒットで収入格差が生じてお互いの家同士でいざかいがあったとか。これも仕方が無いかと。そして不幸にもF先生は60半ばで亡くなられて二度と組むことはなくなった。だからといって疎遠になったのではなくお互いに友情と尊敬を重ね合っての事であり二人とも藤子不二雄の名前を外さなかった。ふたりは別れても一つだった。
性格の異なるふたりは漫画という共通の趣味を通し、手塚治虫という同じ目標をふたりで目指し、肩を並べられるようになってそれぞれに活動しそして解散。やがて死が2人を永遠の別つてもなお同じ漫画道を進みF先生が観られなかった令和の時代まで生き続けたA先生。今頃はあの世でF先生や手塚治虫氏らトキワ荘の連中と再会して大騒ぎしているのじゃないかな。合掌。
実際双方の生前にコンビ解消していなかったら権利の分配でとんでもないことになっていたというし。
大病して弱気になったF先生の申し出なんだけど、実はF先生の姉とA先生の嫁が利権に対して対立していたという話もあるし、最後の合作と呼ばれる『オバQ』もかなり利権でもめたという大人の事情満載の話もありますね。