前橋小夜曲

8Lのジャケット・・・

63年の人よりちょっと短い旅を終えて実兄が旅立ちました。

10月5日が兄の誕生日だったのでメッセージでたんおめ送ったのですが返事がなかなか帰ってこず、数日後帰ってきた返事には1週間ほど調子が悪く動けない、以前のような肺炎の症状あるというのでとっとと医者に行けと促したら自分で救急車を呼んで入院しました。翌日のメッセージでは肺炎と脱水という診断で病院からの連絡もないので安心していたのですが、翌日仕事から帰ってお風呂に入っている時に病院から危篤状態との電話が。

そこから家族大騒ぎになり何も知らなかったかーちゃんから電話が来るわ妹からLINEが飛んでくるわでその最中亡くなりましたとの電話が。その間僅か30分。11日のお昼前の話です。そこからがもう大変で何も用意せず急いで車に乗って眠気と戦いながら高崎の病院へ。15時半頃に病院に到着して兄と対面しました。

その後は葬儀屋呼んで兄を引き取って葬儀屋に安置したのを確認して前橋市の兄の部屋に泊まって翌日に大家やお世話になっている隣人に報告、妹を高崎駅に迎えに行って何故かこんにゃくパークに寄って大勝軒でラーメンを食ってから兄と面会してから兄の部屋に帰って大掃除。ワタシも自分ちに帰って用意するものが沢山あるので妹を連れて深夜帰宅。翌日の夜にまた前橋に行って泊まって色々所用をすまして15日の朝に兄を荼毘に付し、兄の家を経て実家に帰ってました。

そして今は折り合いが悪かった親父殿の隣りに居ます。出奔して40年くらいかな。今頃あの世で親父殿と仲良くやっていれば良いかな。どうせ今後は嫌でも同じ墓の中だし。

ワタシもそんなに仲がよかった兄弟じゃ無かったとは思います。しかし動けるような身体じゃなくなったのにもかかわらず実家に帰るつもりも無かった兄と高齢で動けないかーちゃんや折り合いが悪かった妹に頼れる訳でもなくその際の時にはワタシが全負担してました。入院だ何だかんだと言う度に前橋に飛んでいっては面倒を見てました。それでもしょうがないかなとは思って接してはいたし正直面倒くさい人でもありました。まぁワタシが倒れた時には連絡役をして貰いましたが。

言いたい事は沢山ありますがようやく長い旅路の終了を終えた兄です。ワタシのブログやFB見てはネチネチ苦言を言っていたけど死んだらこうやってネタにされるんだよと。大好きだった群馬並びに前橋とに感謝しつつ家に帰ってこれたことに感謝。合掌。